校訓の「克己」の意味は「自分の欲望に打ち勝つ心」のこと
語源は「中国の論語」のようで、「克己心」という言葉は、中国の思想家である孔子(こうし)の教えを記した「論語」が由来と言われている。この中の顔淵(がんえん)篇に、「己の欲望に打ち勝って、礼儀を守ること(過度の自己主張を抑制し、礼儀にのっとるようにすること)」を意味する「克己復礼(こっきふくれい)」という四字熟語が記されており、これが現代の「克己心」の語源と言われている。「克己心」を英語で表す場合、「自分を抑制する」という意味の「self-control」を使う。
自分の欲に負けそうなのは誰しも同じです。「礼儀」という言葉は好きではないかもしれないけれど、「礼儀、礼儀」という人ほど礼儀を守っていない場合も多いけど、何よりも「目先の欲(楽しい)に眩んで、将来のもっと楽しいことにたどり着かないのは本当にもったいない。」ということが今日は言いたい
目先の楽しみは思い出にはなる、しかし、その思い出は人生の支えになる種(しゅ)かどうかは考えてみてほしい。「今、楽しかったらえーねん」と「卒業後も楽しく生きていけるか?」は別のはなし。卒業後の人生は高校3年間よりはるかに長い。目の前の楽しいと将来も楽しめることとを両立しようと考える。「それはそれ、これはこれ」、けじめをつける。「勉強は勉強で区別、授業を受けてやることやる」、「礼儀って何?を知って、考えられる人になる」。
もっともっと賢くならないといけない。その理由の一つは、「ある人の欲望(過度の自己主張)のために利用されているのに、気づいていない大人」になったら、この先の人生を楽しめないことがあるからです。